全脳科学帳

これを好む者はこれを楽しむ者に如かず

素数が無限に存在することの証明 (3)

3つ目の証明として、スティルチェスによるものを。 スティルチェスは19世紀のオランダの数学者で、解析学で業績を残した人。

この動画で3つ目の証明として紹介されている。


素数が無限個あることの意外に知られていない3つの証明

証明は短い。背理法を使う(※動画では変数  n が重複して使われているので、以下ではそこを修正)。

証明1
素数が有限の  n 個しか存在しないと仮定し、それらを  p_1, p_2, \ldots, p_n とする。

 \displaystyle N = p_1 \times p_2 \times \cdots \times p_n

とおき、 N = lm ( l,  m は自然数)という積に分解したとする。 N p_1, p_2, \ldots, p_n を1つずつ因数として持っているから、どの素数  p_i (1 \le i \le n) についても  l,  m のうち一方のみが  p_i で割り切れ、他方は  p_i で割り切れない。 そこで  l + m という数を考えると、この数はどの  p_i でも割り切れない。つまり存在する素数のいずれでも割り切れないから、素数を約数に持たない。よって  l + m = 1 となる。しかし  l \ge 1,  m \ge 1 であるから矛盾。

したがって、素数が有限個しか存在しないという仮定が誤りであり、素数は無限に存在する。(証明終)

ユークリッドの証明の時と同様に、同じ考え方で背理法を使わずに証明する方法を考えてみた。以下のようになるか。

証明2
任意の  n 個の素数をとり、それらを  p_1, p_2, \ldots, p_n とおく。さらに

 \displaystyle N = p_1 \times p_2 \times \cdots \times p_n

とおく。  N = lm ( l,  m は自然数)という積に分解する。 N p_1, p_2, \ldots, p_n を1つずつ因数として持っているから、どの素数  p_i (1 \le i \le n) についても  l,  m のうち一方のみが  p_i で割り切れ、他方は  p_i で割り切れない。 そこで  l + m という数を考えると、この数は1より大きいので何らかの素数  p で割り切れるが、一方で上記より  l + m p_1, p_2, \ldots, p_n のいずれでも割り切れないから、 p はそれら以外の素数である。したがって  p_1, p_2, \ldots, p_n 以外に素数が存在する。

以上より、どんな自然数  n に対しても  n 個より多い素数を得ることができるので、素数は無限に存在する。(証明終)

コツが少しわかってきた。「 n 個と仮定すると矛盾」を「 n 個に対して必ず他のものが存在する」に変えればよいのである。やはり背理法を使わない方が気持ちがいい。

素数が無限に存在することの証明 (2)

2つ目に紹介する証明は、2006年にフィリップ・サイダックが発表したもの。とても簡潔で、私はこの証明が最も好きである。

証明
 N_1 を1より大きい整数とする。 N_1 N_1 + 1 は互いに素なので、 N_2 = N_1 (N_1 + 1) は少なくとも2つの異なる素因数を持つ。同様に、  N_2 N_2 + 1 は互いに素なので、 N_3 = N_2 (N_2 + 1) は少なくとも3つの異なる素因数を持つ。この操作は無限に続けることができるので、いくらでも大きな個数の素数を得ることができる。したがって素数は無限に存在する。(証明終) (→ 英語版)

こんな簡潔な証明が21世紀になってから発見されたというのは驚きである。しかも背理法を使わず、直接的に「無限」を扱っているのがいい。

 N_n c^{2^n} ぐらいのオーダーで増えるので、急速に大きくなる。 N_1 = 2 として計算してみると、

 \displaystyle N_1 = 2

 \displaystyle N_2 = 6 = 2 \times 3

 \displaystyle N_3 = 42 = 2 \times 3 \times 7

 \displaystyle N_4 = 1806 = 2 \times 3 \times 7 \times 43

 \displaystyle N_5 = 3263442 = 2 \times 3 \times 7 \times 13 \times 43 \times 139

 \displaystyle N_6 = 10650056950806 = 2 \times 3 \times 7 \times 13 \times 43 \times 139 \times 3263443

 \displaystyle N_7 = 113423713055421844361000442  \displaystyle = 2 \times 3 \times 7 \times 13 \times 43 \times 139 \times 547\times 607 \times 1033 \times 31051 \times 3263443

 \displaystyle N_8 = 12864938683278671740537145998360961546653259485195806  \displaystyle = 2 \times 3 \times 7 \times 13 \times 43 \times 139 \times 547 \times 607 \times 1033 \times 29881 \times 31051 \times 67003   \displaystyle \times 3263443 \times 9119521 \times 6212157481

(大きな数の計算と素因数分解には、大矢建正さんの数学のプログラムと、カシオの高精度計算サイトを使った)
というふうに素因数の数が増えていく。

 N_1 = 3 もやってみよう。

 \displaystyle N_1 = 3

 \displaystyle N_2 = 12 = 2^2 \times 3

 \displaystyle N_3 = 156 = 2^2 \times 3 \times 13

 \displaystyle N_4 = 24492= 2^2 \times 3 \times 13 \times 157

 \displaystyle N_5 = 599882556 = 2^2 \times 3 \times 7 \times 13 \times 157 \times 3499

 \displaystyle N_6 = 359859081592975692 = 2^2 \times 3 \times 7 \times 13 \times 67 \times 157 \times 277 \times 3499 \times 32323

 \displaystyle N_7 = 129498558604939936868397356895854556  \displaystyle = 2^2 \times 3 \times 7 \times 13 \times 67 \times 157 \times 181 \times 277 \times 1801 \times 3499 \times 32323 \times 64621  \displaystyle \times 17083093

プログラムを使ってもこのあたりが限界のようだが、楽しい。

素数が無限に存在することの証明 (1)

素数とは、1より大きい自然数で、1と自分自身以外に約数を持たないもののこと。具体的には、2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23,  \ldotsが素数である。 素数が無限に多く存在することはよく知られていて、たくさんの証明がなされている。それらのいくつかについて書いていきたい。 まずは最もよく引用される、ユークリッドの証明から。

ユークリッドは「原論」の中で素数が無限に存在することを証明しているのだが、それは以下のような背理法を使ったものとして紹介されることが多い。

証明1
素数が有限の  n 個しか存在しないと仮定し、それらを  p_1, p_2, \ldots, p_n とする。

 \displaystyle N = p_1 \times p_2 \times \cdots \times p_n + 1

とおくと、 N は存在するすべての素数  p_1, p_2, \ldots, p_n のいずれでも割り切れない(1余る)から素数である。一方で  N はどの素数よりも大きいから合成数である。これは矛盾。

したがって、素数が有限個しか存在しないという仮定が誤りであり、素数は無限に存在する。(証明終)

ところが、実際にはユークリッドは背理法を使っていないようである。「原論」に書かれている方法(→ 英訳)を上記の書き方に合わせて、かつできるだけシンプルに書いてみると以下のようになる。

証明2
任意の  n 個の素数をとり、それらを  p_1, p_2, \ldots, p_n とおく。さらに

 \displaystyle N = p_1 \times p_2 \times \cdots \times p_n + 1

とおく。  N は1より大きいので何らかの素数  p で割り切れるが、一方で  p_1, p_2, \ldots, p_n のいずれでも割り切れない(1余る)から、 p はそれら以外の素数である。したがって  p_1, p_2, \ldots, p_n 以外に素数が存在することになる。

以上より、どんな自然数  n に対しても  n 個より多い素数を得ることができるので、素数は無限に存在する。(証明終)
(※ユークリッドは  N が素数の場合とそうでない場合に分けているが、特に分ける必要はないと思う)

私は昔、証明1の方を先に知ってその巧みさに感心したのだが、今になって考えてみると、背理法というのは(論理的には正しくても)直接ズバッと証明したという感触に乏しい。だから今は概して背理法を使わない証明の方が好きである。無限に存在することイコール「どんな数に対してもそれより多くをとることができる」なのであるから、それを直接示したい。それに証明2の方が「無限の広がり」を感じられていい。

…ということを考えながらいろいろ検索していたら、「脱背理法教育」を掲げた安部研究室のページ(東京大学)を見つけた。確かに、背理法という手法は教えるにしても、実際の定理の証明はできるだけ背理法を使わないものを教えた方がいいと思う。

安部研究室のページでは、素数が無限に存在することの証明について「素数の無限性」のエントリで触れられている。高校数学で背理法を導入する時の定番である「 \sqrt{2} が無理数であること」の背理法を使わない証明も書いてあって興味深い。

πが無理数であることの証明

ネイピア数(自然対数の底)  e に続いて、今度は円周率  \pi が無理数であることの証明。Wikipediaによると、初めて厳密に証明したのはルジャンドルで、1794年のことだった。初等的な微分積分のみを用いた証明はイヴァン・ニーベンが1947年に与えている。 e よりずっと難しい。

πが無理数であることの証明

ニーベンの証明をこの動画で観て自分のノートにまとめてみた。


【証明】円周率πは無理数である【丁寧な解説】

ここでは概要だけ書く。

背理法で証明する。 \pi は有理数であると仮定し、 \displaystyle \pi = \frac{a}{b} ( a,  b は自然数)とおく。 自然数  n に対して以下を定義する。

 \displaystyle f_n(x) = \frac{x^n (a-bx)^n}{n!}

 \displaystyle I_n = \int_0^\pi f_n(x)\sin xdx

すると、

  1.  I_n \gt 0 かつ  \displaystyle \lim_{n \to \infty} I_n = 0 となるので、十分大きな  n に対して  0 \lt I_n \lt 1
  2. 任意の  n に対して  I_n は整数

がともに成り立つことが示せる。これは矛盾。

したがって、 \pi が有理数であるという仮定が誤りであり、無理数であることが示される。

これも、 \pi が有理数であると仮定してやってとにかく何か矛盾が見つかればいいという戦略。前に書いた、eとその有理数乗(0乗を除く)が無理数であることの証明と、アプローチはかなり似ている。相手が  \pi だけに、積分の中身には  e の累乗の代わりに  \sin が出てきている。

証明の詳細を振り返ってみると、上記の1.の方は  f_n(x) の分母に  n の階乗があるから、 n \to \infty のときの  I_n の極限が0になることを示すのはそう難しくない。しかし2.の方はかなり大変である。

2.を証明するには、まず

 \displaystyle F_n(x) = f_n(x) - f_n^{(2)}(x) + f_n^{(4)}(x) - \cdots + (-1)^n f_n^{(2n)}(x)

というのを定義する。すると  I_n = F_n(0) + F_n(\pi) であることが示せて、おまけに  F_n(0) F_n(\pi) はともに整数となる。よって2.が成り立つという手順。しかしここの導出がかなり長かった。

ちなみに、 \pi は無理数なので実際には  \displaystyle \pi = \frac{a}{b} となる自然数  a,  b は存在しないわけだが、自然数でない  a \gt 0,  b \gt 0 を使って  \displaystyle \pi = \frac{a}{b} とおく(例:  a = 2\pi,  b = 2)と、1.は成り立つが2.は成り立たない。

 \pi が無理数だからといって  \pi^2 \pi^3 などが無理数であるとは言えない。しかし現在では  \pi の有理数乗(0乗を除く)はすべて無理数であることが証明されている。

東野圭吾「天空の蜂」のメッセージ

東野圭吾の小説の大ファンである。倫理観をゆさぶられるようなテーマ、予想もつかない展開、クリアな文体。数え間違っていなければ、本として出ている東野作品は今日現在で長編・短編集・エッセイ集・絵本を合わせて85作あるのだが、あと10数作で全部読了というところまできた。

先日、「天空の蜂」を読んだ。1995年刊。19年前の作品である。

(Amazon紹介文)奪取された超大型特殊ヘリコプターには爆薬が満載されていた。無人操縦でホバリングしているのは、稼働中の原子力発電所の真上。日本国民すべてを人質にしたテロリストの脅迫に対し、政府が下した非情の決断とは。そしてヘリの燃料が尽きるとき…。驚愕のクライシス、圧倒的な緊迫感で魅了する傑作サスペンス。

東野圭吾は元はメーカーの技術者だった人なので、科学技術を扱った小説が割と多い。特にこの作品ではそれが顕著で、ヘリコプターや原子炉の構造・機構に関してかなり突っ込んだところまで書かれている。東野ファンの間で「読みづらい作品」の筆頭に挙げられることが多い作品でもある。

緊迫したサスペンスが我々に問いかけてくるのは、原子力発電に対する向き合い方。この作品に登場する原子炉は高速増殖炉なのだが、書かれたのは「もんじゅ」の事故より前、もちろん東北大震災による福島第一原子力発電所の事故よりずっと前である。そんな時期にこんなメッセージを、(私が見る限り)フラットな立場で小説の形で発信していたというのは驚きである。

と同時に、大いに勇気づけられた。「このサイトについて」のページで私は「自分たちの進むべき道を自分たちが納得のいく形で決め、みんなが同じ方向を向いて進める世の中」に近づけるための活動をしたいと書いているのだが、この作品ではそれに非常に近いことが語られている。 難しいから、わからないからといって無関心でいるのは、選択を他者にゆだねる(どうなっても文句は言わない)という選択をしていることになるのである。

もう一つ、東野圭吾の「さいえんす?」というエッセイ本を読んでいたら、こんな文章があった。

理系と文系、この両者の間には依然として分厚い壁が存在する。私は、たまたまそれを越えてきた。だからこそ、壁の向こうの世界について語ることも、自分の義務であろうと今は考えている。

そうそう、その通りなのである。私も理系の領域から文系の領域へ活動の場所を移してきているから、とてもよくわかる。簡単に伝わらないことはわかっているが、「壁の向こうの世界について語る」ことを続けていきたいと思うのである。

天空の蜂 (講談社文庫)

天空の蜂 (講談社文庫)

さいえんす? (角川文庫)

さいえんす? (角川文庫)

特殊相対性理論(2) 光の伝わり方

アポロ11号の月面着陸(1969年)は、子供のころに大きなインパクトを受けたできごとの1つだった。

その時に知ったことの1つが、宇宙空間では音が聞こえないということ。真空では空気や水のような音を伝える媒質がないから聞こえない。宇宙戦艦ヤマトなどのアニメでは宇宙での戦いで戦闘機がドカーンと派手な音をさせて爆発していたが、実際には音は聞こえないはず(ついでに言うと、まわりに空気がないから爆発のしかたもああいう感じにはならないと思う)。

真空では音が伝わらないのに、なぜか光は伝わる。星からの光はちゃんと宇宙空間を伝わってきて見えている。さらに、アポロの乗組員は地球との間で無線通信を使って会話していた。電波も届くのである。月面着陸の時のアームストロング船長のセリフはちゃんと届いて中継された。子供心に不思議だと思ったが、そんなもんなんだということで納得することにしていた。

昔の人も、真空で光が伝わるのはおかしいと思ったようで、宇宙空間は本当の真空ではなくて、光を伝えるエーテルと呼ばれる媒質で満たされていると考えていたらしい。そこから、太陽のまわりを公転している地球の上で観測される光の速さは時刻・季節や方向によって変わるはずだという考えに基づいた、「マイケルソン・モーリーの実験」が行われた。

この話は、動いている物体から何かを発射した時の速度というものに関わってくる。

car

たとえば図のように、走っている車の上で前方にボールを投げることを考える。時速60kmで走っている車の上から、プロ野球のピッチャーが時速140kmの速さで前方にボールを投げると、地上にいるB氏から見ればボールに車の速さが足されて時速200kmの豪速球になる。車の上にいるA氏から見れば普通に時速140kmである。

一般化すると、速度  v で走っている車に対して速度  V で投げられたボールの速度は、車の上にいるA氏から見ると  V、地上にいるB氏から見ると  V+v となる。

ambulance

ボールではなくて音を発射する場合は話が違う。図のように救急車がサイレンを鳴らして走っている場合を考える。音速はまわりの空気を振動が伝わる速さによって決まるので、救急車が止まっていても走っていても変わらない。これをたとえば秒速340mとして、救急車が秒速20m(時速72km)で走っているとすると、救急車の前方向に音が伝わる速さはB氏にとっては秒速340mで変わらず、救急車のA氏から見ると遅くなって秒速320mとなる(ドップラー効果はこの差が原因で起こる)。

救急車の速度が  v、空気中の音速が  V (ここでは  v \lt V とする)のとき、救急車にいるA氏にとっての音速は  V - v、地上のB氏にとっての音速は、救急車が止まっているときと変わらず  V となる。

このように、動いている物体から物を投げる場合と、音のようにまわりの媒質を振動させる場合とでは速度の変わり方が違う。では3つ目のケースとして、動いている物体から光を発射する場合はどうか?

rocket

図のように、超高速で飛んでいるロケットから前方に光を出す場合を考える。真空中で止まっている物から出る光の速さは秒速30万kmである。ロケットが秒速10万kmで飛んでいるとき、ロケットの上にいるA氏やロケットの外で止まっているB氏にとっての光の速さはどうなるか?

  • ボールの場合と同じなら、A氏にとって秒速30万km、B氏にとって秒速40万km
  • 音の場合と同じなら、A氏にとって秒速20万km、B氏にとって秒速30万km

となるはずである。昔の科学者たちは「光は音と同じく波であり、音が空気を伝わるのと同じく、光はエーテルという媒質の中を伝わっているはず」と考えていたので、速さの関係も音の場合と同じことになるだろうと考えていた。 ところが、マイケルソン・モーリーの実験(超高速ロケットの代わりに公転する地球を使っており、その速さは秒速10万kmよりはるかに遅いが)の結果として、光速はどのように測っても変わらなかった。そうすると、超高速ロケットでの答は

  • A氏にとって秒速30万km、B氏にとっても秒速30万km

という変なことになりそうなのである。ボールの場合とも音の場合とも違って、どうやら真空中の光速は誰の立場でも変わらない。

この不思議な現象をどう考えるかを探求するところから、ローレンツ短縮や特殊相対性理論へと発展していく。

eとその有理数乗(0乗を除く)が無理数であることの証明

ネイピア数(自然対数の底)  e と円周率  \pi はともに、無理数でありさらに超越数であることが知られている。

  • 無理数: 有理数(分母・分子がともに整数である分数で表せる数)でない実数
  • 超越数: 有理数係数の代数方程式  a_n x^n + a_{n-1}x^{n-1}+\cdots+a_0 = 0 の解とならない複素数(「有理数係数」は「整数係数」としても同じ)

たとえば  \sqrt{2} は無理数だが x^2 - 2 = 0 の解なので代数的数であり、超越数ではない。虚数単位  i は実数ではないが  x^2 + 1 = 0 の解なので代数的数である。 任意の有理数  p x - p = 0 の解なので代数的数である。したがって超越数である実数は必ず無理数である。

最近、  e \pi が無理数・超越数であることの証明をたまたま見かけて調べてみたので、ここに概要をメモしていく。超越数であることが証明できれば無理数であることも証明したことになるのだが、やはり超越数の方が証明は難しいので、両方載せる。まずは  e が無理数であることから。

eが無理数であることの証明

1744年にオイラーが証明している。これは比較的簡単。Wikipediaにも載っている。

背理法で証明する。 e が有理数であると仮定し、 \displaystyle e = \frac{a}{b} ( a, b は自然数)とおく。

 e^x のマクローリン展開

 \displaystyle e^x = \sum_{n=0}^\infty \frac{x^n}{n!}

 x = 1 を代入して、

 \displaystyle e = \sum_{n=0}^\infty \frac{1}{n!} = 1 + \frac{1}{1!} + \frac{1}{2!} + \frac{1}{3!} + \cdots

左辺に  \displaystyle e = \frac{a}{b} を代入し、右辺を分母が  b 以下の項と  (b+1) 以上の項に分けると、

 \displaystyle \frac{a}{b} = \Bigl( 1 + \frac{1}{1!} + \frac{1}{2!} + \cdots + \frac{1}{b!} \Bigr) + \Bigl( \frac{1}{(b+1)!} + \frac{1}{(b+2)!} + \frac{1}{(b+3)!} + \cdots \Bigr)

両辺に  b! を掛けて

 \displaystyle a(b-1)! = \Bigl( 1 + \frac{b!}{1!} + \frac{b!}{2!} + \cdots + \frac{b!}{b!} \Bigr) + \Bigl( \frac{b!}{(b+1)!} + \frac{b!}{(b+2)!} + \frac{b!}{(b+3)!} + \cdots \Bigr)

この左辺は自然数。右辺の1つ目の () の中は、各分数がすべて自然数なので自然数。2つ目の () の中について、

 \displaystyle 0 \lt \frac{b!}{(b+1)!} + \frac{b!}{(b+2)!} + \frac{b!}{(b+3)!} + \cdots

 \displaystyle = \frac{1}{(b+1)} + \frac{1}{(b+1)(b+2)} + \frac{1}{(b+1)(b+2)(b+3)} + \cdots

 \displaystyle \lt \frac{1}{2} + \frac{1}{2^2} + \frac{1}{2^3} + \cdots = 1

から1未満である。したがって右辺は自然数とならず矛盾する。 よって  e が有理数であるという仮定が誤りであり、 e は無理数であることが証明された。

eの有理数乗(0乗を除く)が無理数であることの証明

 e 自身のみならず  e の有理数乗(0乗を除く)がすべて無理数になるということは、シャルル・エルミートが証明している。以下の動画で紹介されている。


eのべき(有理数乗)が無理数であることの証明

この証明は概要だけ書いておく。

 r, s を整数( rs \neq 0)とするとき、 e^\frac{s}{r} が無理数であることを示す。 このとき、 s \lt 0 なら  s \to -s r \to -r と置き直しても  \frac{s}{r} の値は変わらないので、 s \gt 0 としてよい。

有理数の整数乗は有理数であることから、 e^\frac{s}{r} が有理数なら  e^s は有理数。対偶をとると、 e^s が無理数なら  e^\frac{s}{r} は無理数である。したがって  e^s が無理数であることを示せばよい。 背理法を使う。 e^s は有理数であると仮定し、 e^s = \frac{b}{a} ( a,  b は整数、 ab \neq 0)とする。

自然数  n に対して以下の関数を定義する。

 \displaystyle f_n(x) = \frac{x^n (1 - x)^n}{n!}

 \displaystyle F_n(x) = \frac{1}{s}f_n(x) - \frac{1}{s^2}f_n^{(1)}(x) + \frac{1}{s^3}f_n^{(2)}(x) - \cdots + \frac{1}{s^{2n+1}}f_n^{(2n)}(x)

これらに対して

 \displaystyle \int_0^1 e^{sx}f_n(x)dx = e^s F_n(1) - F_n(0)

が成り立つ。右辺に  e^s = \frac{b}{a} を代入して両辺に  as^{2n+1} を掛けると

 \displaystyle as^{2n+1}\int_0^1 e^{sx}f_n(x)dx = bs^{2n+1}F_n(1) - as^{2n+1}F_n(0)

となる。

  • この式の右辺の値は nにかかわらず整数であることが言える。
  • 左辺については0より大きく、かつ  n \to \infty のとき0に収束することが言える。したがって十分大きな  n に対して左辺は0より大きく1より小さい。

これらは矛盾する。 したがって、 e^s が有理数であるという仮定が誤りであり、 e^s が無理数であること、さらに  e^\frac{s}{r} が無理数であることが示される。

この証明は  e が無理数であることを使っていないので、 e が無理数であることの証明も兼ねている。

要は、 e^s が有理数であると仮定して、何でもいいから矛盾を導こうという戦略なのだが、こんな証明、よく思いついたものだと思う。 e は微分・積分で重要な役割を果たす数なので、微分・積分を道具に使って矛盾を導きやすいということはあるのだと思う。これが  \pi だともっと難しくなる。

それは何の役に立つの? (1)

科学の話、たとえば宇宙のなりたちとか、物質の構成とか、エネルギーとかエントロピーとか、量子力学とか、相対性理論とか、数学の定理とか、そういう話を、普段そういうことになじんでいないと思われる人にすると、決まってされる質問がある。

「それは何の役に立つの?」

この質問をする人が、自分たちにとってどういう役に立つかを純粋に知りたいのか、「そんなもの何の役にも立たないのでは?」と言いたいのか、あるいはその中間なのかは、質問する人やトピックやその場の状況による。

ただ、何の話をしているにしても、私としてはそれが「役に立つ」ということを言いたくて話しているわけではないことが多いので、たいてい「ああ、またそれを聞かれるのか」と思ってしまう。しかし聞く人からすればもっともな質問ではある。

この質問にどう答えたらいいのか、いつも困ってしまうのだが、今思っているのは、答え方としては大きく分けて4つあるのではないかということ。それらを順に書いていきたい。

まずは1つ目の答え方。「○○に役立ってるよ」と具体的な事例を出す。

たとえば相対性理論であれば、現在ではGPSの話を出すのが定番である。

カーナビでもスマートフォンでも、GPS(Global Positioning System)という仕組みにより我々は自分が今地球上のどこにいるのかを知ることができる。本当に便利になったものである。よく知られているように、GPSは複数(最低でも4個)の人工衛星からの信号を受信することによって実現されている。位置を知るためには信号が送出された正確な時刻が必要なので、人工衛星には非常に正確な原子時計(数万年に1秒しか狂わない)が積まれている。
ところが、そんな正確な時計を積んでいても、実際に地球のまわりを周回する人工衛星から送られてくる時刻はだんだん狂ってきてしまう。原子時計の性能のせいではなく、相対性理論の効果で、人工衛星での時間の進み方が我々とは異なるのである。これには2つの要因がある。
・地球に対して人工衛星は高速で運動しているので、地上の人にとって人工衛星の時間の進み方は遅くなる(特殊相対性理論より)
・人工衛星は約2万kmの上空にあるため地上よりも地球からの重力が小さく、時空のひずみが小さいため、時間の進み方が地上より速くなる(一般相対性理論より)
これらの影響は後者の方が大きく、差し引きすると人工衛星では時間の進み方が我々よりも速くなり、時計も速く進む。これを補正しないと、時刻は1日に38マイクロ秒ずれ、GPSで計算される我々の位置の情報は1日に11kmもずれてしまう *1 *2。これでは使い物にならない。そこでこの差を補正するため、人工衛星の原子時計は少し遅く進むように設計されている。
もし相対性理論がまだ発見されていなかったら…。それでもGPSを作ることはできただろうが、運用してみたら「おかしい! 時刻がだんだんずれてくるぞ! これはどうしたことだ!」ということになっていただろう。
こんなふうに、相対性理論も我々の日常の役に立っているのである。

…というように、実際に役に立っている例を出す答え方が1つ。
実は、答えている側としてはそれほどおもしろくない答え方である。 あと3つの答え方については次回以降に。

特殊相対性理論(1) ことはじめ

子供の頃から科学が好きで、科学に関する本をよく読み、科学者に憧れていた。

好きな科学者、興味を引かれた話を挙げていけばきりがないが、その中でも特に衝撃だったものの1つは、小学生の時に何かの読み物で読んだ「高速で動く物体では時間の進み方が遅くなる。そして長さが縮み、質量が大きくなる」という、アインシュタインの相対性理論(今考えると、その中でも主に特殊相対性理論)だった。「そんなSFみたいなことが本当にあるのか?」「なぜそんなことがわかるのだろう?」「それを発見したアインシュタインという人はどんな人なのだろう?」ということに強い興味が湧いた。

以来、いずれはちゃんと勉強してみたいと思いながら何十年も経ってしまったのだが、その相対性理論の勉強にようやく取り組むことにした。まずは話を慣性系(加速度を受けていない系)に限った、特殊相対性理論の方から取りかかる。

勉強し始めてみると、特殊相対性理論が何を主張しているのかについて私は全然ちゃんと理解できていなかったことがわかった。そしてこの理論がいかにすっきりと世界を記述しているかということも知ることができた。しかも、ほぼ中学程度の数学で理解できるようになっているのは驚きである。

さらに、この理論が発表された1905年当時、他の物理学者(ローレンツ、ポアンカレなど)もあと一息というところまで迫っていたこと、ただし当時の常識にとらわれず新たな視野を開いたという意味ではアインシュタインが抜きん出ていたことなどもなんとなくわかってきた。

もう一つ印象的なのは、アインシュタインの原論文がかなりわかりやすいものであること。特殊相対性理論の論文「動いている物体の電気力学」(Zur Elektrodynamik bewegter Körper, 1905)は「アインシュタイン 相対性理論」という本で邦訳を読むことができる。元の論文なんてどうせ難解なものだろうと思いながら読み始めてみると、これがわかりやすい。ところどころ「訳者補注」や「解説」を参照しながら読んだのではあるのだが、元々が論文というよりもまるで解説書のようである。

たとえば、この理論を理解するために重要な前提となる「同時刻の定義」については、原論文に書いてあることだけで十分理解できる。内容が革新的でありながらわかりやすいこのような論文を、当時一介のアマチュア物理愛好家(スイス特許庁の審査官)だったアインシュタインが発表したことのインパクトはどのようなものであったか。

特殊相対性理論についてはやっとわかってきたので、自分なりの理解をここに書いておきたい。どの解説を読んでも詳しい記述が飛ばされているところ、私には理解しにくいところがあって、それを自分の頭で補って言葉にしておくのは意味があると思うからである。

というわけで、自分なりの説明をこれから書いていく。まずは、特殊相対性理論の勉強に使った書籍・ウェブサイトを挙げておく。

  • 明解 相対性理論入門 ―正しい理解を求めて―」(恒岡美和)
    まずはこれで勉強した。平易にかつ要点を押さえて書かれているし、誤解しやすいところにも釘を刺してくれる。
  • 明解 相対性理論入門 ―正しい理解を求めて―」(恒岡美和)
    まずはこれで勉強した。平易にかつ要点を押さえて書かれているし、誤解しやすいところにも釘を刺してくれる。
  • アインシュタイン 相対性理論」(A. アインシュタイン , (訳)内山 龍雄)
    原論文とその解説。上に書いたように、とてもわかりやすい。アインシュタインが何を考えていたかを知るには必須の1冊。
  • 相対性理論」(内山龍雄)
    理解を補うために参照した。一般相対性理論を学ぶ時にも使おうと思う。
  • ウェブサイト「EMANの物理学」および書籍「趣味で相対論」(広江克彦)
    すばらしいサイト。このような内容を書いて(無料で)公開されているというのは本当に尊敬してしまう。しかもこの上なくわかりやすい。私のような者に何ができるかはわからないが、見習いたい。
  • 思考の飛躍―アインシュタインの頭脳」(吉田伸夫)
    アインシュタインが何を考えていたのか、当時の物理学界にとってどんな存在だったかを垣間見ることができる。相対性理論以外にも、量子論に関するボーアとの論争がどんなものだったかなどもわかった(私はかなり誤解していた)。

明解 相対性理論入門―正しい理解を求めて 相対性理論 (岩波文庫) 相対性理論 (物理テキストシリーズ 8) 趣味で相対論 思考の飛躍―アインシュタインの頭脳 (新潮選書)

色覚異常(5) 検査

だいぶ前のことになってしまったが、3月に色覚の詳細な検査を受けてきた。

私の色覚異常がわかったのは小学1年の健康診断の時だった(→ 色覚異常(3) 発覚)のだが、それ以来石原式検査表以外での詳しい検査を受けたことがなかった。特に必要に迫られているわけではないものの、どの程度の異常なのかもう少し詳しく知っておきたいとかねがね思っていた。動機はほとんど好奇心である。強いて言えば、自分の孫(娘たちの子供)に出るかもしれない影響を知っておきたいというのもある。

検査を受けたのは、色覚の問題を考えるボランティアグループ「ぱすてる」の検査・相談機関のページに載っていた、大阪府守口市卯月眼科。色覚の詳細検査を受けるには事前予約が必要。

予約していた時間に行くと、まず普通の眼科診断(眼球に光を当てて診る、光を目で追うテスト、問診など)を簡単に受けたあと、色覚の検査へ。

現在一般に行われている検査の内容が滋賀医大眼科学講座の臨床的色覚検査方法のページで解説されている。これらの検査をほとんど全部受けた。

  1. 石原式検査表
    おなじみ、小さな丸がたくさんある中に見える数字を答える。いつもの通り、ちゃんとわかったのは最初のページだけだった。
  2. 標準色覚検査表(SPP)
    こっちだったと思う。東京医大表(TMC表)の方もやったかもしれない。やはり数字を当てるのだが、こちらは色のついた丸が格子状に並んでいる。あまり考えずに感覚で答えた。わからないものが多い。
  3. 色を近い順に並べる(多分、パネルD-15テスト)
    上面に色が描かれた16個の駒を色の近い順に並べる。最初の1個が指定され、それに近いと思うものから置いていく。
    迷いながら並べていくと、どこにも入れられないものが出てきてやり直す。それでも多分間違っている。こんな微妙なものに「正しい順番」があるようには見えないのだが、正常な人はほとんど一発で正しい順番に並べるらしい。
  4. 半円同士の色を合わせる(多分、アノマロスコープ)
    視力検査で使うようなスコープをのぞき込む。上下の半分が塗り分けられた円があり、一方の色を変えていって、もう一方と同じ色になったと思ったところでストップ。単純なだけに、どのくらいずれた色に設定してしまったのかは全然わからない。
  5. ランタンテスト
    運転免許の更新の時に受ける信号のテストと同じように、縦に出てくる2つの信号の色を次々に答える。正常な人にとっては「なんでこんなテストやるの?」というくらい簡単なテストらしい。これに四苦八苦。違う色が出ていることは一応わかるのだが、途中からどれを緑、どれを黄、どれを赤と呼ぶべきなのかわからなくなってしまい、かなりメチャクチャな答になったように思う。印象としては、免許の更新の時のテストより難しい。

いずれのテストも正解がどうであったのか教えてもらえないので、どれくらい合っていたのかはわからない。しかしどれも答に全く自信が持てない状態。はずしまくっていたことは間違いない。そのはずし方の傾向をみて、どのタイプの色覚異常かが決められる。

で、私に下された判定は「2型2色覚」。

それは一体どんな異常なのか? 色覚異常の分類については、以下のページに解説がある。

これらによると、

  • 眼の中の色を識別するところは錐体(すいたい)細胞と呼ばれ、L錐体、M錐体、S錐体の3種類がある。それぞれ、長波長(赤/黄付近)、中波長(緑/黄緑付近)、短波長(青付近)の光の識別を担当。
  • これら3つの錐体がそれぞれ働いているかどうかにより、2の3乗 = 8通りの状態がある。3つとも働いているのが正常、他の7通りはいずれも色覚異常
  • その他に、3つのうち1つが異常な錐体で置き換わっている場合がある。これらが3通り。
  • 合計すると、全部で10通りの色覚異常がある。

で、私の場合はM錐体が働いておらず、L・Sだけを使って色を認識しているという判定。2つだけ使っているので2色覚、欠損しているのが真中のM錐体なので2型。

検査結果は自分で思っているより悪く出るとは聞いていたが、3つのうち1つが全く働いていないという結果には驚いた。そこから受けるイメージは、自分の日常生活での実感とは大きく違う。しかし上記ページにも書かれている通り、M錐体の機能はL錐体でかなり補われるらしい。その結果として日常生活でほとんど支障のない状態になっているのだと思う。

言われてみれば、なんとなく自分は緑系統の感覚が弱いというか、緑色のインパクトが他の色に比べて弱いような気がする。しかし他の人の色覚を体験して比べることができるわけではないから、本当のところはよくわからない。

自分の色覚異常の程度がわかったからといって色が見分けやすくなるわけではないので、これからの生活への影響は特にない。しかし長年知りたかったことがわかったので満足だった。